福森 雅武
昭和19年、伊賀丸柱の土楽窯七代目として生まれた福森雅武は、界隈の野山を歩いては四季折々の自然のささやきに耳をすませ、白洲次郎・正子夫妻ほか、さまざまな人々との出会いに薫陶を受けながら、作品作りに努めてきました。
良く喰らい、良く飲み、良く笑い、良く眠り。花、木々と言葉を交わし、米、野菜、肉、川魚など、伊賀の自然の恵みを大らかに愉しむ暮らしを通して生まれた器は、よけいな主張を徹底して捨て去ったもの。その果てに宿るのは、力強くもやさしさを帯びた魂です。(土楽ホームページより)
真の日本人らしさを感じる旅とは、どのようなものなのか。そのひとつの答えが、中部北陸を縦に貫く「南北の旅」の中にある、と我々は考えています。
南は那智勝浦から伊勢、津、四日市、そして名古屋、郡上、飛騨、さらには北陸へ。日本の真ん中を龍が昇っていく姿を思い起こさせることから「昇龍道」とも呼ばれるこのルートには、江戸時代から続く街道に沿って、匠や発酵・醸造などの伝統産業文化が脈々と根づいています。
日本人の心のふるさと伊勢神宮、徹夜おどりの郡上八幡、山の都ともいわれる飛騨高山、百万石の城下町金沢、これらの地を巡れば、四季折々の自然や立春からはじまる二十四節気の風土の変化を余すところなく体感することができます。
日本が凝縮された、南北の旅路。唯一無二の名店や名宿、そして新たなパートナーと共に、自然と共生したサスティナブルなツーリズムを創造して参ります。
食は、我々が目指す日本らしいツーリズムの中核にあるものです。人間の身体と土地は切り離せず、その土地でその季節に採れたものを味わうことが命を育む、という「身土不二」の精神。
地域や生産者の方々とのつながりを大切にしたいとの思いから、レストランは宿泊のお客様だけではなくビジターの方も共に楽しむことができるオープンな空間を設計しました。イメージは、フランスの片田舎にある農村のオーベルジュの和食版。
このような食楽のコンセプトは、現代の魯山人と謳われる、土楽福森雅武氏の教えの賜物であり、我々が最も大切にしている日本文化の粋。炭火や土鍋のローストをはじめ、素材の旨味を引き出す唯一無二の料理を提供します。
山間の別天地で味わう郷土料理は、野山や生産者と向き合い語り合いながら、季節の移り変わりごとに表情を変えていきます。清流香る鮎、岩魚やアマゴ。古くから伝わる発酵食や滋養に満ちたスッポンや鰻、加えて熊、鹿、猪、鴨などの岐阜県産ジビエ。そしてそれらの材料を引き立てる、その時期ならではの茸や山菜、野草や山椒などの自然調味料。また、食楽に欠かせないのが酒。福森流のラフロイグをはじめ、厳選したワインや飛騨の地酒をご用意します。
春夏秋冬、土楽の伊賀焼や横浜隣花苑から引き継ぐ美しい器と共に、大地の豊かな香りがいっぱいの旬の自然の恵みを大らかに愉しむ。地域と共に地域を味わう。食楽がたどり着く最高の味わいや時間が、ここにあります。
昭和19年、伊賀丸柱の土楽窯七代目として生まれた福森雅武は、界隈の野山を歩いては四季折々の自然のささやきに耳をすませ、白洲次郎・正子夫妻ほか、さまざまな人々との出会いに薫陶を受けながら、作品作りに努めてきました。
良く喰らい、良く飲み、良く笑い、良く眠り。花、木々と言葉を交わし、米、野菜、肉、川魚など、伊賀の自然の恵みを大らかに愉しむ暮らしを通して生まれた器は、よけいな主張を徹底して捨て去ったもの。その果てに宿るのは、力強くもやさしさを帯びた魂です。(土楽ホームページより)
敷地内には新たに井戸を掘り、森と畑を造っています。栗の古木を囲むように、栃、山法師、百日紅、そして金木犀という本来は共存しない樹種を植えた約500坪の庭と、夜には満天の星空を楽しめる優美な宿泊体験を提供します。
畑では、微生物溢れる土と触れ合いながらオーガニック野菜を育てる。それらをレストランで味わえるのはもちろん、季節の良い時期にはお客様自身が収穫し採れたてを味わうこともできます。
そして、川に面したスパは森を望む半露天風呂を中心とした癒しの空間。部屋着のままリラックスすることができます。
最高のデトックスと言われるファスティングプログラムや裏山でのノルディックウォーキングをはじめ、大自然を満喫するサイクリングや森林浴、スパでくつろぐ。超日常の時空間が心身をゆるやかに再生します。
我々が出会い継承したのは、まさに自然に抱かれたような特別な土地。その土地に相応しいリゾートとは、どんなものなのか。建築は、しつらえは、どこまで環境に寄り添うことができるのか。
その答えを模索し、我々は建築家の遠藤秀平氏に巡り合いました。遠藤氏が提唱する「パラモダン」をテーマにした作品は、素材がもつ魅力を最大限に引き出した大胆な造形空間が特徴。建物の内側と外側の境界を無くすなど大地から連続したような空間構成は、従来にない独自のものでありながら、土地や自然との調和を目指します。
遠藤氏の代名詞でもある赤錆で経年変化するコルゲート鋼板(コルテン鋼)のファサードが表現するのは、まさに侘び寂びの世界観。一方、建物内部の構造には木材を採用。鉄と木と融合した建築物は世界初のものになりました。
日本人の美意識に寄り添いながら、環境と時間軸を共有する。稀有な地に相応しい、特別なリゾートが形作られます。
1960年滋賀県生まれ。1986年京都市立芸術大学大学院修了。石井修/美建設計事務所勤務を経て、1988年遠藤秀平建築研究所を設立。コルゲート鋼板の可能性を拡張する建築家として世界的に有名。
主な受賞に「芸術選奨文部科学大臣新人賞」、「アンドレア・パラディオ国際建築賞」、「ベネチアビエンナーレ特別金獅子賞」、「公共建築賞」、「日本建築学会教育賞」などがある。
郡上八幡と飛騨高山をつなぐ、全長約72kmの「せせらぎ街道」。夏には新緑の白樺林、秋には分水嶺である西ウレ峠からの紅葉といった風景が連なる道の中腹に、その場所はありました。
山間の地であるにも関わらず、冬になると一面に平らな雪景色がひろがる清見町大原(おっぱら)エリア。その中でも更に稀有な景色、三方が川に囲まれ一方が山に面した小さな平野ともいえる場所が残されていました。
もともとそこは、道の駅やオートキャンプ場、そしてホテルの一大開発が行われた自然公園で遊歩道を登れば東屋も残されています。東海北陸自動車道が開通してからは街道の交通量が減り、それに伴いホテルやキャンプ場の需要も減少。2009年にはホテルが閉鎖されてしまいました。
この地のように、新幹線や高速道路の開通により日陰の地となってしまった観光地は数多く存在します。駅からもインターチェンジからも遠い場所。
しかしそんな土地こそ、自然と共生することに長けた、日本人本来の感覚や美意識が蘇る場所なのだと気付かされます。
裏山の遊歩道を歩き、目の前の川で遊ぶ。緑を吸い込み、せせらぎを聴く。眺めるだけではない山水の恵が、我々の五感を呼び起こし、心身を愉しませるのです。